舞台
サンパウロから日系人団体御一行が農場見学と弓場バレエを鑑賞しに来たこの日、私は18年ぶりに舞台に立ちました。
バレエは3歳から13歳まで習っていました。バレエが好きで好きで、幼い頃の夢は「ディズニーランドのパレードで踊るお姉さん」でした。
弓場農場に到着してすぐにバレエの練習を見学し、久しぶりのバーと大きな全身鏡、レオタード、バレエシューズに胸が高鳴って練習に参加させてもらうようになりました。
全身鏡に映る自分は醜いもんでした。なんたって、過去マックスのデブやから。
旅中になぜか太っていまして。いや、なぜかではない、理由ははっきり分かっています。旅中はバランスのとれた食事なんて皆無で、米、肉、パスタ、パンばかりの偏った食事をしていたせいでいつの間にか、、、ね、ぶよぶよです。
マコトにX−JapanのTOSHIに似てるねって言われる様。ひどい。
でも、バレエは楽しい。足の運び方や手の動かし方を身体はちゃんと覚えてくれていました。週三回のバレエのレッスンが私の弓場生活のリズムを作ってくれました。
そして2週間前、バレエのレッスン中に先生から「今度サンパウロから来るお客さんにバレエを披露するからマミコも出てみる?」と声をかけてもらい、2曲も出演させてもらうことになったのです。
まさかこの歳でまたバレエの舞台に立てるとは。しかもブラジルで!
この2週間は、足手まといにならないように、舞台でひとり浮いてしまわないように、振り付けを覚えて身体に叩き込むのに必死でした。農作業後の時間をバレエ場で過ごすようになりました。
そして本番当日。
髪を結い上げ、舞台メイクをし、衣装に着替え、舞台袖で待つあの緊張たるや!
「マミコ!失敗しても楽しめばいいんよ!」
緊張して強張った表情の私を見兼ねてお母さんたちが声を掛けてくれました。
いざ!
始まってしまえば、一瞬の夢のような時間でした。
さっきまでキッチンで鍋をゆすっていたおかあさんがバレリーナになります。
みんなのすさまじいエネルギーに包まれて自分からもエネルギーが出てくる感じ。
頭ではなく身体の感覚が直接揺さぶられて、日常とは異なる次元に運ばれ、それとともに、自分の心身がスーと静かに整っていくような清麗な感覚。
踊るってこんなんだった!
終わってフィナーレの時になりようやくしっかりと客席を見渡すことができました。笑顔と拍手の劇場。
ボロボロと涙があふれてきていました。
もちろん泣いているのは私だけなのだけど。
みんな何十年も何百回も立ってきている舞台。お茶の子さいさい。日常の一コマ。
みんな役者だ。表現者だ。
「マミコどうだった?楽しかった?それが一番よ!」
そう言いながらサッと衣装を脱ぎ捨て、メイクはしたままキッチンへ戻って夕食を作り始めるお母さんたち。
なんなんだ、このひとたちは!!
風の強い日
それはとてもとても風の強い夜でした。
ヒューヒューと隙間風が入ってくるくらい。
不気味な音だな、と思いながらベットに入ったその夜。
メキッ、メキメキッ、ガラララドッスーン!!!!!
ものすごい振動と音で目が覚めました。
早朝5時。
なんだなんだ!と慌てて外に出ると、いつも洗濯物を干しているベランダがなくなっていました。
家の横の大木の枝が風で折れて落ちてきて、ベランダを破壊したのでした。
小屋の真上に落ちてたらどうなってたかな・・・ぞっ。
朝食の話題は持ちきりでした。マミコとマコトの小屋が危機一髪だった!と。
おかあさん達が笑って「良かったね!危なかったね!でも壊したんなら自分で直すないとね!!」と。
マコト、人生初の大工仕事です。
大工仕事の得意な村人が木を撤去し、周りの大木をチェンソーで切り倒してくれました。
丸二日かかって、ベランダは修復され、私たちの棲家は元通りになりました。
虫も入ってくるし、隙間風もあるけど、どんどんこの小屋に愛着が湧いてきました。
珈琲より人を作れ
弓場農場の創設者、弓場勇氏は
「畑を耕すことと芸術することは同じ」 と言いました。
自分の畑はキャンバスで、そこに何を作るか、何を植えて育てるかは己次第。誰にこうしろああしろと強制されてやるのではなく、自分で考え、研究して、頭を悩ませて作物を育てる。想像する。キャンバスに絵を描くように。
弓場農場では、誰かがどこかで必ず芸術しています。
畑にいたら風に乗ってピアノの旋律が流れてくるし、夜もあちこちから管楽器の音色が聴こえてきます。
ビオラ、トランペット、フルート、チェロ、バイオリン、サックス・・・
月、水、木はバレエの練習があって、火曜は合唱の練習、金曜はアトリエで絵画、土曜は俳句会。
強制じゃない。踊るの苦手で楽器もやらないって人もいるけど、そんな人は、木工で家具を作るのが好きだったり、編み物が得意だったりする。
みんなそのままの個性で暮らしている。
ひとりのお母さんが舞台の数日後話しかけてきてくれました
「舞台の上ではすべてが裸になるのね
普段黙々と畑を耕していて
料理を作っていて
それが全て出るんだね
どっちがどっちではなくて
ぜんぶ共鳴しているんよ
魂からぶわっと出る
だからすごいんだよ」
この地の空気を吸い、水を飲み、この地で育てたものを収穫し、食べ、眠り、星空を眺め、集い、語らい、そうして自分の中に生じてきた感覚に基づいて表現している。生きることそのもの。
豊かだなぁと思う。
不思議なことに、旅行者もここで生活して間もなく経つと、「昔ピアノやってた」とか「絵好きや」って言ってまたやり始める人が多いんです。
しいたけさん
40年前、まだ1ドル280円の時代、自転車で世界一周していた男がいました。
旅の末、弓場農場に辿り着いた男は
ここに惚れ込み、一生をここで暮らすと決め、農場の女性と結婚し、移住しました。
いつもこてこての関西弁で、ウイスキー片手にダジャレを連発してみんなを笑わせてくれる楽しいおじさん。
営農作物としてしいたけ栽培に着手し試行錯誤、悪戦苦闘して10年、ようやく成功。
その道のりは想像するに難くない。
本当にいろんな人が集って共に生活しています。
「来るもの拒まず去る者追わず」弓場を象徴する言葉があります。
好きでここにいる人ばかり。
出たかったら出ればいいよ。その距離感の心地よいこと。
農作業や手仕事の技術云々の前に、人間としてどう生きるかを学ばせてもらっています。
Now Playing:きのこオールスターズ「きのこの唄」